春の日

今日は中学の卒業式だ。

特に派手な学校生活ではなかったけど、案外楽しくはあった、と思う。

卒業式のあと、数少ない友人たちと、誰かの家でささやかな打ち上げでもしようという話になった。

この友人のグループは3人で構成されている。

そいつらとは2年の時に同じクラスで、3年ではみんな見事にクラスがばらけてしまったから、卒業式ではみんなほぼ別行動だった。

だから今打ち上げの場所について、直接ではなくSNSで話し合っていた。

いくつかメッセージを送り合った後、結局羽風の家で、ということになった。

羽風はなかなか裕福な家庭で、行ったことはないが結構大きな家に住んでいるということを聞いた。

コンビニでいくつかお菓子とジュースを買い込み、そう遠くもない羽風の家に向かった。

途中で今日の参加メンバーでもある阿部とも会い、二人で歩いていく。

羽風の家に到着しチャイムを鳴らすと、羽風がドアを開け「やっほー、二人とも」と整った顔でにこりと笑った。

 

家に入ると、なるほど確かに、今まで入ったどの家より広かった。

家具や飾ってある花ですら、うちにあるものとは全く違う高級感を放っている。

しかしそれらにいやらしさはなく、センスよくそろえられていた。

「そこのソファーにでも座ってて」

羽風はそういうと、キッチンの方に歩いて行った。

ソファーに腰を下ろすと、思ったより深く沈んで驚いた。

前にあるガラス張りのテーブルに、とりあえず買ってきたものをビニール袋から取り出した。

阿部もいくつか買ってきたようだが、被っていなくて少し安心した。

キッチンから羽風が、コップを3つとお菓子を並べる大皿を持って戻ってくる。

そういえば、卒業式の時にはスーツを着ていた羽風が、今はラフなトレーナーを着ている。

それを見て、家で着替えることを忘れていたと思い出した。

隣に座る阿部を見ると、彼もスーツのままだった。

自分も阿部も、打ち上げが楽しみすぎて着替えるのも忘れるなんて。

阿部もそのことに気づいたようで、お互いの間抜けな顔を見合って、思わず笑ってしまった。

羽風も呆れたように笑って、「二人とも、俺の服なんか着る?」といった。

少し申し訳なかったが、正装のままでは居心地が悪すぎる。

私と阿部は、適当に何か借りることにした。

 

羽風にパーカーを借りた後、1時間くらい飲み食いしつつ、会話に花を咲かせていた。

すると、玄関の方からガチャ、と音がした。

羽風が目を見開き、「なんで、今日は帰ってこないはずなのに」と呟く。

状況がわからないでいると、羽風の母親と思しき人が歩いてきた。

なんだかその女性は機嫌が悪い様子だった。

と、そこで羽風が母親と折り合いが悪い、という話をしていたのを思い出す。

母親が所謂毒親のような状態だと言っていたのだった。

羽風の母親が近づいてきて、テーブルの上の大皿を持ってキッチンに行ってしまった。

「帰った方がいい?」と声を抑えて聞いてみる。

羽風は少しの間俯いてから、無理やり笑顔を作った。

「あは、今日はちょっと難しいかもね」

阿部は困った様子で黙っていた。

どうすればいいか迷っていると、キッチンの方から嫌味が飛んできた。

「あなたね、モデルの仕事もあるのにこんなお菓子食べて」

羽風はまた俯いてしまっていた。

「今日は私が帰ってこないから大丈夫だと思ったんでしょうけど」

眉間にしわを寄せ、羽風の母親がこちらに歩いてくる。

「ほら、帰ってください。この子今日もレッスンがあるのよ」

卒業式の日にもレッスンをしているのか。

モデルをしているのは知っていたが、羽風は仕事の都合で学校を休むことは極力避けていた。

だから、実際羽風がモデル業でこうやって苦労している様子を実際目にしたのは初めてだった。

羽風は泣きこそしないものの、苦しんでいるような、諦めたような顔をしていた。

彼がモデルをしているのは、話を聞いている限り、彼の意思ではないような気がしていた。

小さなころから母親に連れまわされ、気づいたころにはモデルの仕事からは逃げることができなくなっていたのだ。

彼は仕事の話をしたがらない。

モデルから離れられるのは学校にいる時間だけだから、と彼はそう言っていた。

羽風は俯いたまま、一言もしゃべらない。

私は彼の笑顔が好きなのに。

母親がイラついた様子で口を開きかけたその時。

羽風がはじかれたように顔を上げ、こちらに助けを求めるように見た。

その大きな目には、今にも零れそうな涙が溜まっている。

彼が笑っていないのは嫌だなあ。

そう思って立ち上がり、彼と阿部の手を取った。

「走って!」

そう叫ぶと、二人もすぐに私について走り出した。

ちょっと、という母親の声が後ろから聞こえてくる。

そんなこと知らない。扉を勢いよく開けて、春の空に飛びだした。

 

しばらく走っていた。

道路の脇には満開の桜がずーっと咲いていて、アスファルトに落ちた花びらを踏みながら走った。

走って、走って、三人とも限界になって、転びそうになりながら止まった。

汗で前髪が濡れていて、久しぶりに全力で走ったから膝が笑っていた。

すると、座り込んでいた羽風が急に笑い出した。

色素の薄い彼の髪が、ふわふわと揺れている。

なんだかこっちもおかしくなって、阿部にもそれが伝染して、三人で意味も分からず大笑いした。

笑いきってから、春の美味しい空気を胸いっぱいに吸い込む。

羽風のお母さんにどう謝ろうかとか、ここまで走ってくる必要はなかったなとかいろいろ思うけれど。

卒業式の日くらいは、まあ、いいんじゃないかな。

空が晴れている。

 

今朝見た夢を基に書きました。眠い